次回より新たなに「時計紀行」というシリーズを企画しています。
これまでは腕時計一本一本のレビューをたくさん掲載してきましたが、その腕時計にまつわる個人的な気持ちや思い出はあまり書いてきませんでした。
その理由は、腕時計に対して個人的な気持ちをあまりにも露骨に書いてしまうと、かなり主観的なインプレッションになってしまい、その時計を持っている人に対して良い印象を与えないのでは・・・と思ったからです。
僕自身は他人が自分の時計をこき下ろしたところであまりなんとも思いません。 そういったところは個人主義なのか何なのか(笑)「あ、こいつにはこの価値がわかんないんだwww」で終わってしまいます。
ただ、世の中、そうじゃない人もいるんだなあ〜と長年ブログを書いてきて思いました。 「自分の持っている時計の悪口を書かれた」とか受け取る人がいるんだと・・・。
まあ、自分で言うのもなんですが、僕はフランク・ミュラーという「テキトーブランド」が好きなので、その辺のハードルが低いのかな・・・悪口言われて当たり前のブランドなので、そりゃあ認識が違うのかな・・・? とか思ったりしてます。
ただ、執筆料をもらっているわけでもないので、そこまで気を遣うのもどうかと思いました。
そんなに当たり障りのない記事ばかりで埋める必要もない。
雑誌社から広告料をもらっているわけでもないんだから、時計の気になるところを指摘したところで、時計メーカーからクレームが来るわけでもない。
だいたい、自動車雑誌とかでも記者が試乗してみて、いいところをインプレッションして、それプラス悪いところも書くから、僕たち読者も「ああ、そうなんだ」と客観的な記事だと判断してその車を具体的な購入対象にするわけです。
その試乗車はメーカーから提供されているのでしょう。 でも、やっぱり気になった箇所も書いてある。
そこをメーカーが「そんなこと書くな」って、広告料を出してんだからって気持ちはわからなくもないけど、それってメーカーの姿勢としてどうなの?って思います。
そんなメーカーの時計、たとえ時計自体は魅力的で素晴らしいものであっても、持っている時計の都合が悪いところが出てきたらすぐにもみ消されてしまいそうです。
僕の個人的な考えとしては、そういうメーカーの姿勢って一事が万事。 現在の立ち位置がメーカーの姿勢を物語っているような気がします。
当たり障りのない記事なんて、面白くもなんともない。
客観的な視線・・・? バカ言うな。 使う人の気持ちに訴える類のグッズの最たるものが腕時計であり、こんなもの純粋に機能性だけで客観的に選ぶならG・ショック選ぶわ!
気持ちが入らないような時計なんぞ、要らんでしょう。
ただ、自分の気持ちが入る記事になるからといって、時計本体についてはそれほど書いたりしないと思います。
だって、時計のレビューは散々「時紡ぎ」で書いているから(笑)
むしろその時計を購入した時、持っていた時感じていた「自分のストーリー」を書いていくことになると思います。
その中でその時計に対する気持ちが強烈に出てくるかもしれないから、許してね、ってことです。
次回の記事は早速「時計紀行」第1回目、僕にとって高級時計を持つきっかけとなった時計です。
どんな記事になるのか・・・ご期待ください。
いつもお読みいただきありがとうございます。 感謝!!